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2022.05.31

Episode 1 | METH

レペゼン知床。日本最北の地にベースを置き、トータルなHIP HOPカルチャーをレペゼンしている最重要人物の一人、METH TICALDA。強面でいかつい外見とは裏腹に、超繊細な彼のHIP HOP感とは?そんなMETHの「伝えるべきストーリー」

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METH! 今年もきたよSHIROFES.
本州最北端の青森県に日本からカルチャー人が集結します。METHもほぼ初期から関わってるやん?どうですかこのSHIROFES.?

TEEさん。今年もきましたね、SHIROFES. 
割と初期から参加させてもらってますね。東京から北海道に移り住んで間も無く、主催者のノブオと北海道内のバトルイベントで出会ったのがキッカケです。確か函館のジュニア君とノブオがコンビでエントリーしてて、ボクがジャッジだったと思います。その時にSHIROFES.の前身だった弘前ダンスフェスティバルに呼んでくれた。そこから何かと毎年いろんな形で関わらせてもらってます。

METHは表現者として、トータルなHIP HOPカルチャーを体現してるんやけど、まずダンスにハマって行ったストーリーを教えて。

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地元の公民館で上京前最後に踊った時

ボクの実家が街の電器店だったんです。小学6年の頃くらいに、衛星放送アンテナの普及キャンペーンをしてて、海外のケーブルTVプログラムが店で見放題だったんですよね。
姉がお笑い好きでダウンタウンの初期頃やってたDANCE DANCE DANCEを深夜見ているの知ってたし、既にダンス甲子園とか観てましたが、自分がやるって感じではなかったんです。
でも、いつもの様に衛星放送をザッピングしてたらBOBBY BROWNのPVを観てフリーズしてしまいまして、なんかカッコいいなーって思ったんですよね。
そこからは見よう見まねで「DANCE」とか「ストリート」って着くようなものを片っ端から漁る生活が始まった気がしますw

ダウンタウンがMC時代の初期DANCE DANCE DANCE、ダンス甲子園あたりを見て影響されたとはすごいね。滅危惧種と言えるねw METHが影響を受けたHIP HOPダンサーを想像する時に、真っ先に頭をよぎるのは80’s後半~mid 90’sの間でBrooklynを中心に活躍したMOPTOP CREWなのかな、と思うんだけど、METHがダンサーとして影響を受けたのは誰ですか? また、その人のどういう所に影響をうけたか教えて。

えっと、始めた頃から今でもずっと尊敬しているのは”SOUND CREAM STEPPERS”の
3人です。特にYUKIさんには強くインスパイアされました。
高校生の頃はダンディラの初期の頃のビデオを通販で買って90年代のニュースクールの踊りのエッセンスを知ったかもしれません。その後に札幌の同世代の知り合いなどを通じて「ALIVE TV」のダビングビデオを半ば強引にコピーさせてもらってw(当時のストリートはダビングに厳しかった)ひたすら観てファッションとか学びました。
NYのダンサーのアティテュードには強く影響されてますね。特にKITOとMARQUESTですかねー。
ボビー時代はキラキラしててステップで軽やかに踊る姿が魅力的に映ったんですが、MARQUESTとかの粘る感じの動きとかゲットー感がいかにもストリートっていう感じで
自分がダンスをする上で追い求めている質感が全部そこにあるような感覚でした。

METHはHIP HOP軸でのデザイン業もかなり力を入れてると思うんだけど、デザイナーMETHとしての活動と、どういう軸でデザインをしてるか、どういうところからインスピレーションを受けているかを教えて。

デザイナーとしては、所謂アーティスト業と別の人格というか、デザインなので頼んでくれる相手がいる事が前提ですね。
元々は自分の所属している”XXX-LARGE”の活動の役割として、たまたまグラフィティとか描くの好きだったし、イベントのフライヤーとか衣装とかデザインする担当に自分が名乗り出たんです。
でも、実はそれより前に、22歳頃かな?地元の後輩が原宿のアパレルに入っててデザインするやつだったんですよね。服のグラフィックのデザインをドメスティックブランドが最盛期の時代に何個も受け持ってるようなやつで。そいつに「T -SHIRTのデザインからやってみたら?」って勧められて、プライベートなブランドを立ち上げた事があったんですよ。サンプリングもの中心に。
地元の後輩のS.A.Sのハヤトはいち早くシルクスクリーンの世界に飛び込んでいたりして、服にプリントをするっていうのは割とハードルが低めの環境だったかもしれないですね。
インスピレーションの基は、やはりHIP HOPに夢中なヘッズだったのでベタに”GANG STARR”のロゴとか、EPMDやLL COOL JとかERIC HAZE辺りのロゴワークが大好きで。
あとブラックスプロイテーション・ムービーのカバーワークがとにかく大好きです。絵のタッチとか含めて。伴って、昔の日活映画系の看板職人の方が手書きで描く映画看板も大好きで、 昔から街を歩く時は、わざとその通りを歩くようにしてたくらい大好きでした。
それと、当時ウチの親父がサラッと描く店のポップ。
物心ついた頃からその光景を見てました。「大売り出し」とか「なんちゃらフェア」
みたいな字を立体感ある感じでアクリル使ったりマジックインキ使って書いてるのを見るのが好きな子供時代でした。

過去のMETHがデザインしたイベントフライヤーを見たときは衝撃でした。あの手作り感とスタイルがモロにHIP HOPでした。これまでの作品で一番気に入ってるフライヤー(またはデザイン)は?

HIP HOPカルチャーに縁が深いTEEさんにそう言ってもらえると嬉しいです。
気に入ってるデザインワーク。。。
なんだろう?色々やって来ましたが、年1で気合を入れなきゃいけない仲間とのBIG PARTYである”STRAD”、”SOWL VILLAGE”の頃のデザインは苦悩した分思い入れありますね。グラフィックのように見せてますがロゴ部分は毎回手書きから起こしてました。
SOWL VILLAGEのロゴは、HIP HOP界隈において東京も大阪も代表的なモノがあり、出尽くしてる感が否めない梟モチーフだったのでオリジナリティーを出せるまでに苦労しました。
あとは自分のパーティーである”SNAFU”の気の抜けたスローアップも気に入ってますし、自分の店のロゴはサンプリングなんですがバレづらい感じで長年愛着持ってます。
あと、神経を研ぎ澄ましたのは、町田のHIP HOPの大先輩であるDJ O-NOさんが運営するオンラインレコードショップ”HIPTANK RECORDS”のロゴ。HIP HOPや多角的に音楽センスの塊のような先輩なので、ロゴワークをオファーいただいた時は一瞬も気が抜けなかったですw 最終的に戦車にターンテーブルのアームが付くシンプルな形に収まってますが、ここに行き着く過程にはサンプルを100パターンくらい試したかもw

俺の中で、METHが書いたNASのリリックを色んなHIP HOPエレメントをサンプリングしまくって書き上げてたアート作品が超好きで、アイディアもだけどとにかくHIP HOPを感じるんだけど、あのシリーズはどれくらい今まで作ってるの?又、あれをやるときの対象曲の選定はどうやってる?

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あの作品を描くきっかけを作ってくれたのは正にノブオです。ボクはどちらかと言うと自分のアート作品を作ると言うよりはデザイナーにずっと傾倒してきました。頼まれた仕事をこなすというか。自分のブラックブックには色々描いてはいましたけど、作品を残すって言うほど自信もなかったかな。
いつだったか明確に覚えてないのですが、ノブオからスタジオ(FUNKY STADIUM)の発表会の為に、講師陣の似顔絵を描いてくれないか?と打診された事があって、似顔絵とか全然得意じゃないのですが、俺なりに頑張って仕上げたんですよね。それを喜んでもらえて、ホッとしてたんですけど、その後、ノブオもイベントコンテンツを色々増やしていく中で次にお願いされたのが、自身のアートワークでした。
デザイナーなので特に「これ」っていうスタイルも持ち合わせてない中、試行錯誤して深いトンネルの中を彷徨いまくって、やっと出た答えがあのリリック・アートでした。
ロゴのデザイナーであることが中心だし、HIP HOP好きでどうにかその愛を表現したい。
だったら自分の大切に思っているアーティストのリリックを視覚化したいなって。
その手法に辿り着きました。
自分自身もアートワークをキッカケにその曲のリリックの意味を更に深掘りできるし、再確認もできるし、自分が学ぶ上でもアウトプットする上でもいい表現方法に辿り着いたと思ってます。

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FUNKY STADIUM 講師陣の似顔絵

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HIP HOPダンスに関して、METHの世代はかつてクラブで自然発生するサイファーが沢山あってそこで仲間と踊って、という事が自然だったと思うんだけど、今ではオーガナイズされたイベント、バトルが多い中、METH的に感じている違和感(危機感?)はある?

僕らの若手時代は、実はもう既に東京に上京した頃から”青山ナイト”とか六本木の”コネクト”とか、ダンスイベントでのショーも盛んでした。渋谷の美竹公園に集まっているダンサーの多くはショーの振り付けの練習に勤しんでいたし、ショーに出るグループの方が格上的なニュアンスを感じてました。
その頃、まだ”e-mo”に加入もしてなくて”XXX-LARGE”も組んでいない頃、ボクは、今の”SYMBOL-ISM”のSUTHOOMさん達の練習場に混ざってトレーニングしてたんですが、ネタを作るわけでもない練習生のオレらは公園内で踊りあって遊んでいたかなー。
e-moとしてクラブでショーをする時は、ひたすらチームメイトとサイファーして楽しんでましたね。普段しないような動きを見せ合ってはキャッキャして遊んでました。特にテッツァンがタフでw

青山ナイト、e-mo、美竹公園、テッツアン(!)・・・思わずニヤケてしまうワード続出やな。w XXX-LARGEのメンバーとは最近でも連絡取り合ったりしてる? 

去年がXXXLの20周年だったので久しぶりに集いました。
メンバーそれぞれ家庭をもったり、要所に入ってるので回数は少ないですが気軽に連絡は取り合ってますよ。
サイファーの話に戻すと、そうやってクラブ遊びはサイファー遊びだった頃、吉祥寺のクラブでYOSHIO(S.A.S)と出会いました。周りは特に気にせず、ただただ自分たちが内輪でサイファー作って遊んでいたんですが、急にその輪の中にまだ10代だったYOSHIOが飛び込んできたんですよね。ガッツリかましまくってて、オレらもこいつヤベーみたいなw
なんかその瞬間、「うわー、なんかオレらスゲーHIP HOPしてるかも〜」みたいな最高の体験でした。
YOSHIOとはその時に話しかけて、定期的にやってた深夜練に誘って。e-moに加入してもらって一緒に練習するようになって、フリ練もそこそこに、スタジオの照明暗くして外が明るくなるまでサイファーしてましたね。その後の付き合い方は見ての通りで、今でもずっとファミリーです。
なんか、まだストリートやクラブが盛り上がってた時代に、何か欠けてるって思ってたピースをはめたかったのかもしれないですね。
それが、オレらにとってのサイファーだったかも。
B -BOYのシーンはサイファーが根強く残っててストリートを体現してるなーって思います。純粋にそこはカッコいいと思って見てます。
でもHIP HOPは、ダンスに限らず、常に変化・進化していくので、ある意味での淘汰はあるのかなと。
オレらサヴァイブ時代からの強みは、誰からも指図を受けず、やりたいことをやり通す部分とかだと思いますが、じゃぁ、「色んなストリートらしさが淘汰されショーアップされた君らの世代の強みとは?」そこを問いたいというか、オレらオジサン達にもズギュンと刺さるような活動をしてくれるのなら縛りを儲けすぎないで自由にやってくれたらいいかなと。
例えば、一人でズンズン進んで行ってますが、YASSの覚悟感とかはいいですよね。より個人技に移行してる現代の中では、HIPHOP的な厚みと説得力も感じるなと。
でも欲を言えばもっと若い10〜20代前半くらいでイケイケでルールに縛られない生意気でイケイケタイプの子達がいてもいいかなと思ってます。バランス的に。

JUICE RECORDSというHIP HOP好きが反応してしまうネーミングのレコ屋もやっていて本当に心底音楽好きなのが伝わってくるんだけど、始めるきっかけみたいなものはある?

2012年に、先ほど紹介した実家の電器店の跡地にひっそりオープンしました。
15年ほど空けた地元に戻って、まず最初に取り組んだ事の一つです。
自分がとにかくレコ屋や街のリサイクルショップでレコードを漁るのがずっと好きなんですよ。「あの名盤がここのエサ箱で発掘できた」とか「これは一枚持ってるけどアイツにプレゼントする為に救出しておこう」とか。レコードを掘りながら、その後のストーリーを妄想するのも好きでw
で、そう言うことする人ってマイノリティーな人だと思うんですよね、おれもマイノリティー側の人間ですしw しかも辺境地に生まれてるマイノリティー。
それってよっぽど精神力強くないと自身もって地域で生活できないというか、自分の趣味を内側に押し込めてバレないようにすると思うんですよ、特に現代は。そうやって所謂”オタク”っていうキャラクターができるとおもうんですが。
もっとオレみたいに堂々としたオタクが地元にいていいなと。
絶対に需要なんか見込めない、ど田舎辺境地でHIP HOP中心のレコ屋をやってるんで、それっぽいお客さんも面白がって来ますけど、真の意図と言うかメッセージとしては、小さい田舎町だとて自分が好きなことを自信持って表現しようよっていう。表に出してれば必ず賛同する人が少なからず現れるからって。
ウチの店は、ストリート界隈だけじゃなくて、北海道や近隣のそんなオタク気質な個性を持ってる人を全面的に肯定してあげれる店になりたいなって。
そういう個性的な人たちがネット世界だけじゃなくフィジカルな世界でもそれぞれ自身もってアウトプットしてくれたらこの地域は面白くなるんじゃないかなって思うんですよね。そういう姿勢で店を運営してます。だから、ウチに来てくれるお客さんはHIP HOPを求めてくる人もそうですが、気持ちを共有する感覚で来店するお客さんが割と多いです。
アイドルのレコードを買取査定しにきて、できたお金をその場でレコード買っていくような方とかw もともとモダンなJAZZが欲しくて来店したのにいつの間にか90’s HIP HOPもハマっていくお客さんとか。そもそも音楽すら興味薄かったのに、色んなレコードを物色するようになってDJデビューしちゃった63歳のオジ様などw 10年も店をやるとそういうマジックポイントに当たるのが面白いですね。
当時は自分が求める情報やコミュニティーがたまたま都市部にしかなかったけど、USや世界のHIP HOPシーンを見渡すと、それぞれの地元の特色とHIP HOPカルチャーが共存している好例を至る所で見かけるようになりましたよね?
それにチャレンジしてみたくなって北海道 知床 斜里町っていう辺境地に拠点を移したので、地元特有の空気感とか自分の選美眼を頼りにイケてるってものを拾い集めて、ダンスに限らずそういうアクションを通して発信をしていきたいですね。
店にはDJの修行に来る地元の高校生も現れてきたし、地元の特色の一つに「HIP HOP」が加わるのを実現したいかなと。
知床とHIP HOPって凸凹な感じがして面白そうじゃないですか。
まさにWILD STYLEというかw 実際WILD LIFEなのでw
自分自身の表現はマイペースに変わらずやっていきます。さらに地元の若い子達の活躍の場の創出に、自分の経験やコネクションを注力してプレーヤーを育てていきたいなと。
素材と自然の恵みでフレッシュに仕上がったプレーヤーを世に出したいですね。
TEEさん話を聞いていただきありがとうございました!

METHへのデザインの依頼はDMを
Instagram @methxxxl

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Story to be told… 伝えるストーリー

DJでありBboyとして長くアーバンカルチャーに携わってきたDJTeeが監修するインタビューするコンテンツ。
ストリートダンスをはじめとするアーバンカルチャーは独自の方法でこれまで進化し続けてきました。日本でも古くはクラブで輪っかを作って踊っていたHIPHOPダンサー、暗黙の了解で使用が許された公園で練習に励むスケーター、フリースタイルバスケットボーラー・・・近年では日本から世界で大活躍する表現者が沢山増え、また競技化が進むSKATEBOARD、BREAKINGではアスリートと呼ばれるようになり、自分たちが活躍した時代と比べると、社会的な追い風も手伝い急速に認知が高まってきたと日々感じています。
このSHIROFES.では開催当初からストリートダンスを筆頭に、ダブルダッチ、フリースタイルバスケットボールなど、さまざまな人気アーバンカルチャーコンテンツを取り上げ、日本を代表する参加者を毎回招聘してきました。そんな表現者である彼らの内面的なストーリーをより多くの人に伝えたい、という思いでこの「Story to be told…伝えるストーリー」の連載を開始させていただきました。表現者である彼らが何に影響を受けて、何を思い、彼らの「今」に辿り着いたか、そういうストーリーを伝える事で彼らの魅力が一層深まると共に、それぞれのアーバンカルチャーへの理解がより一層高まることを切望しています。ストリートのヒーローである彼らの事を知り、より好きになり、彼らの事を今後さらに応援してくれれば本望です。肩肘張らずに彼らの生の言葉を楽しんでください! Peace.  by Tee

DJ Tee @teeplaysitcool

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