NEWS 最新情報
2022.06.07
Episode 3 | KATSU ONE
BBOYとして20年以上のキャリアを持ち、日本の近代BREAKINGシーンにおいて、その存在を不動のものにしているKATSU ONE。現在のBREAKINGの競技化に関する日本チームのリード、そして世界と日本のシーンの掛橋を担う一方、現役BBOYとして全国各地のサイファでレペゼンし続けるRAW BBOY。そんなシーンにおける最大の功労者の一人。そのBBOY KATSU ONEの「伝えるべきストーリー」。
.
.
Wassup KATSU ONE!とりあえず我々も知り合ってから長い&今では同じクルーReady to Rockという運命的な流れになってるけど、KATSU ONEのこと知らない人にBBOY KATSU ONEの自己紹介をお願いします。
BBOY KATSU ONEです。年齢は40歳。心の年齢はいつも18歳くらい(もっと下かも 笑)。職業はなんなんでしょうか。。。笑 やりたいことをやっています! 詳しいプロフィールはインタビューの最後をチェックしてください。
KATSUは立場が変わっても、自己紹介する時は常にBBOY KATSU ONEじゃない?これはKATSU ONEとして、常にこう言うことで何か決意表明みたいなものはあるの?その辺りの心境を聞かせて。
自分は2人いると思っています。
BBOYとしての自分(KATSU ONE)、普段の自分(本名)。
それをうまく使い分けようと心がけています。決意表明のようなものは特にありませんが、その場その場で立ち位置によって使い分けてる感じですね。とは言うものの、「BBOY」ということを知らない場所(人に)で、あえて「BBOY」 KATSU ONEというのを表しているということもあります。BBOYとは?!を知ってもらう為です。
KATSU ONEは教員免許も持ってて、学生時代は将来「教員」という道に進もうと頑張ってたと思うんだけど、今のKATSU ONEに至る転機になったストーリーを教えて。
教員だった父の背中を見て将来は教員になりたいと思っていました。しかし、大学を卒業してそのまま教員になるということに違和感がありました。まだまだ色々な経験をしないと教員として生徒に教えることができないんじゃないか?と思いました。学生時代も海外に行き、異文化交流をするなかでたくさん勉強になっていました。そして「夢」を追いかける!ということを達成しないと、追いかけることの経緯も生徒には伝えられないじゃないのかと。なので、ダンスの大会で「世界一」という目標を立てつつも、ダンスを通して世界に出てもっと経験を積もう!と心がけて行動していきました。その結果今に至ります!いまだにいつか教員もやりたいな、という気持ちはあります!
KATSU ONEと言えば俺の知る限り「超良いやつ」で(笑)すごい交流の幅が広いと思うんだけど、オリンピック競技になるに当たって、つまりBREAKINGの競技化に日本で貢献した人物として、相当反対勢力というか敵も作る結果になったのでは?と思うんだけど、その辺りの苦労話と、KATSU ONEの心情を話して。
ありがとうございます!笑
反対勢力は国内でも海外でもありました。ただ、その反対している気持ちも、僕も理解できるんです。なので、その反対勢力の意見もしっかり理解しつつ、バランスを大切にしてブレイキンの競技化にも取り組んでいこうと思っています。
カルチャーとは?スポーツとは? このポジションをやり始めた時(今もですが)かなり深掘ってみました。NYCのオリジネーターにも足を運んで会いにいき、ブレイキンの発祥の話も聞きに行きました。しかし、僕たちが想っているカルチャーと、本来のあるべき姿のスポーツのテーマが最終的に一緒なんだと理解しました。そこで僕が出した意見は、「ブレイキンはブレイキン」。カルチャーだろうがスポーツだろうがブレイキンはブレイキンで、できることはなんでもやろうという!という思いです。
わざわざBREAKING発祥の地”BRONX”に行って、いろんな人にインタビューしたという話はすごい感銘を受けたんだけど、何人かのオリジネーターに会って話した中で、一番印象的だった言葉、メッセージはある?
「あなたたちが作ったダンスがスポーツ(オリンピック種目になった)ことをどう思いますか?」という質問に対して、僕は否定的なことを言うのではないかと思っていました。
その答えが、「Its OK. We are freedom!」でした。
ブレイキンが自分達をFREEDOMにしてくれた。良いじゃないか!と!感動しました!
訪問時の写真です。めちゃめちゃアングラな地下室でした。笑
基本カメラはNGだ!と言われたのでこの写真しかありません。
.
.
SHIROFES.もそうだけど、市、行政、はたまた国といろんなアーバンプロジェクトをすることによるメリットって非常に大きいと思うんですがKATSU ONEは川崎市とがっぷり四つでISF他、いろんな取り組みをしてると思うけど、きっかけを教えて?
元々地元である川崎で「世界大会をやる」という夢がありました。当時その気持ちを持って役所に資料を持っていったのですが、門前払いされて悔しい思いをしたことを今でも鮮明に覚えてます。しかし、そんな中でも地元の商店街の人や近所で、ショーケース等出演していました(今でも)。その際、マイクで演説のようなことを毎回やっていました。
そんな中、また役所に行く機会があり、ほぼノーアポの状態でしたが、また資料を作って持って行き話をしました。そこからたまたま担当してくれていた行政の方が話を聞いてくれ、その流れからイベントを川崎市に誘致したり、地元で頑張っているBBOYS BGIRLSの現場に市長が視察に来てくれたりと話がどんどん進んでいき、そのタイミングで2018年にユースオリンピックの世界最終予選を川崎市に誘致することができました。
基本「待ち」ではなく、「自分から熱い気持ちを持って発信していく」ことがとても大事なんだなと学びました。ダメ元でもいいからとにかく行動して常にトライしていくことが今に繋がっていると思っています。
そんなオリンピックに携わっていたり、昼夜逆転の海外とのミーティングなど、超多忙な過密スケジュールの日々を送る反面、今でも若手とコンクリートでサイファしたり、イベントに行けば必ずサークル作って踊ってるやん?その原動力というか、KATSU ONEを突き動かすものは何?
KATSU ONEを突き動かすものが「踊る事」だと思います。
定期的に踊っていないと普段の仕事もうまくいきません。仕事で時間におわれる中でも時間を作って地元の公園で踊っていたりします。笑
そして、特に若い子らと一緒に踊ることがめちゃめちゃ楽しいです。全て忘れることができてます。「踊る事」は自分にとって「瞑想」のようなものだと思います。
そしてやはり「ブレイキン」が大好きなので、色んなこと考えずにただ踊っちゃいますよね!笑 これが世界中でできることが素晴らしすぎます!!
このカルチャーに携わっていて今まで一番嬉しかったストーリを教えて?
めちゃめちゃたくさんあります。その中でも強いて言えばフィリピンのストリートキッズとの交流でしょうか?
「貧困のキッズを助けたい」と思っていたのですが、とんでもない!!
僕らが思っているより彼らの心は幸せで、日本人の方が心は不幸せなんだと思わされました。日本に生まれた人間として「助けてあげたい」という想いよりもBBOYとして「一緒に楽しみたい」そのためにどうすればいいか?という気持ちのほうが良いなと思いました。
自分は上目線で物事を見ていたんだと思わされました。そのきっかけをくれた彼らには感謝しかなく、出会えたことがとても嬉しかった。
ただ、彼らとの出会いもそうですが、自分の仲間や、他の海外の友達もこのブレイキンを通しての出会いなので、自分に出会ってくれることが一番の喜びです!これは一生続くので、だからブレイキンはやめられないですね!
自分も映像で見たけど、本当に皆楽しそう、というか音楽がかかった時に踊る姿は生き生きしてたね。何かKATSU ONEとして将来彼らに対してこうしたい、という目標みたいなものはある?
日本のKIDSと交流できる現場を作りたいですね。過去に2名のKIDSをフィリピンから日本に招待したのですが、もっともっとこういった交流の現場があればなと思いました。
そしてフィリピンの仲間と共に学校を建てたいですね!
今回のSHIROFES.は本当にすごいメンバーが出演します。KATSU ONE的な見どころを話してください。
ブレイキンに関しては、今の日本のレベルを世界に知らしめているのは間違いなく”若手”が大半です。その若手が一挙集結してバトルをします。
そして、ストリートダンス強豪国日本。ブレイキン以外のジャンルも日本のレベルはトップレベル。
POPPIN’やHIP HOP、LOCKIN’、HOUSE、WAACKIN’、ALL STYLEの最高レベルが全てがここSHIROFES.で見れます。どんなドラマが生まれるのか、目が離せません!!
.
.
KATSU ONE プロフィール
@katsu_one
https://www.instagram.com/cyphercode_official/
日本のみならず海外の大会でも多数結果を残し、日本のシーンはもちろんのこと世界のシーンでも多大な影響を与え続けている。
2008年にはアメリカで最も古い権威のある大会、「FREESTYLE SESSION USA」において世界各国から 集結された最強BBOY チーム「MIGHTY ZULU KINGS」として参戦し(アジアで初めてのメンバー)、世界一を勝ち取る。日本で毎年行われている「FREESTYLE SESSION JAPAN」では、日本人としては 過去最多の5度の優勝を成し遂げる。2009年にはBBOY界のワールドカップ「R-16」世界大会におい て日本のチーム「ALL AREA」として、日本人として初のショーケース部門とBATTLE部門のダブル世界一達成。同年、Red Bullが主催する世界最高峰と言われているSOLO BATTLE「Red Bull BC One」世界大会 in ニューヨークにおいてGUEST JUDGEとして招かれ、2010年、2015年、2021年には世界で最も伝統ある大会「BATTLE OF THE YEAR」世界大会 in フランス、ドイツ において、GUEST JUDGEとして招かれる。
2010年には、「ストリートダンスで永住権を取る」という目標を掲げ、いきなり渡豪。活動拠点を日本からオーストラリアへ移し、2013年にオーストラリア永住権取得。
ストリートの文化を発展させるべく、2014年にはストリートエンターテインメント事業「株式会社IAM」 を仲間と設立。若者の育成を中心にイベントオーガナイズ、スタジオ経営、マネージメント、アパレル を手がける。
2017年には、IOCがスポーツとしてBREAKINGをYOUTH OLYMPIC GAMESへ正式競技に選び、それをきっかけに公益社団法人日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス本部長/理事に就任。2018年には、「WDSF世界ブレイキン最終予選」を川崎市と共に地元川崎市にて世界大会を開催。同年YOUTH OLYMPIC in ブエノスアイレスにて初代監督に就任し、男子銅メダル、女子金メダル 2つを獲得させた。2024年のパリ五輪に向け世界ダンススポーツ連盟ブレイキンアドバイザーにも就任し、世界規模で活動を行っている。
その傍ら今現在も現役BBOYとして数々の大会でのゲスト、審査員、ワークショップなどで日本各地はもちろんのこと世界中を飛び周る。最近ではD-LEAGUEのローテンション審査員としても参加をしている。ストリートダンス文化を通して日本と世界の架け橋となるべくコミュニケーションを取り続けている。
大学時代には体育の教員免許を取得。ダンスのスキルだけではなく、ダンスを通して人間力を高めることの重要性も同時に伝え続ける。世界中で行われる彼のワークショップでは、リピーターも多く日本中、世界中のBBOYたちに未だ多大な影響を与え続けている。
Story to be told… 伝えるストーリー
DJでありBboyとして長くアーバンカルチャーに携わってきたDJTeeが監修するインタビューするコンテンツ。
ストリートダンスをはじめとするアーバンカルチャーは独自の方法でこれまで進化し続けてきました。日本でも古くはクラブで輪っかを作って踊っていたHIPHOPダンサー、暗黙の了解で使用が許された公園で練習に励むスケーター、フリースタイルバスケットボーラー・・・近年では日本から世界で大活躍する表現者が沢山増え、また競技化が進むSKATEBOARD、BREAKINGではアスリートと呼ばれるようになり、自分たちが活躍した時代と比べると、社会的な追い風も手伝い急速に認知が高まってきたと日々感じています。
このSHIROFES.では開催当初からストリートダンスを筆頭に、ダブルダッチ、フリースタイルバスケットボールなど、さまざまな人気アーバンカルチャーコンテンツを取り上げ、日本を代表する参加者を毎回招聘してきました。そんな表現者である彼らの内面的なストーリーをより多くの人に伝えたい、という思いでこの「Story to be told…伝えるストーリー」の連載を開始させていただきました。表現者である彼らが何に影響を受けて、何を思い、彼らの「今」に辿り着いたか、そういうストーリーを伝える事で彼らの魅力が一層深まると共に、それぞれのアーバンカルチャーへの理解がより一層高まることを切望しています。ストリートのヒーローである彼らの事を知り、より好きになり、彼らの事を今後さらに応援してくれれば本望です。肩肘張らずに彼らの生の言葉を楽しんでください! Peace. by Tee
DJ Tee @teeplaysitcool